もし世間が元日に対する僻見を撤回して、吉凶禍福共にこもごも起り得べき、平凡且乱雑なる一日と見做して呉れる様になったら、余も亦余所行の色気を抜いて平常の心に立ち返る事が出来るから、たとい書く事に酔払いの調子が失せないにしても、もっと楽に片付けられるだろうと思う。
尤もそうなれば、初刷の頁も平常に復する訳だから、とくに元日に限って書かねばならぬ必要も消滅するかも知れない。
それも物淋しい様だが、昨今の如き元日に対して調子を合せた文章を書こうとするのは、丁度文部大臣が新しい材料のないのに拘らず、あらゆる卒業式に臨んで祝詞を読むと一般である。