固より一般の需要は十円内外の低廉な種類に限られているのだろうが、夫にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品と認めなければならないものを愛玩するに適当な位進んで来たのか、又は座右に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘わらず重宝がられるのか何方かでなければならない。
然し今其源因を一つに片付けるのは愚の至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人なのである。