で大学予備門(今の高等学校)へ入るには変則の方だと英語を余計やって居たから容易に入れたけれど、正則の方では英語をやらなかったから卒業して後更に英語を勉強しなければ予備門へは入れなかったのである。
面白くもないし、二三年で僕は此中学を止めて了って、三島中洲先生の二松学舎へ転じたのであるが、其時分此処に居て今知られて居る人は京都大学の田島錦治、井上密などで、この間の戦争に露西亜へ捕虜になって行った内務省の小城なども居ったと思う。
学舎の如きは実に不完全なもので、講堂などの汚なさと来たら今の人には迚も想像出来ない程だった。