だから其処にイブセンとショウとの間に、大なる差違があるように思う。
即ち同じく哲学を持ち乍ら、其哲学の為めに作り上げる作品が累いされて、直ちにそれが読者の目に見え透くか、或は自然に作り上げられた作品の中へ、其哲学が畳み込まれるかの別れる処は、ほんの僅かな一線で、其処が呼吸ものだと思う。
私の『虞美人草』などは問題にもなるまいが、兎に角、其極く幽かな一線の別れ方に依って、作品として失敗する人と、成功する人とに別れるのである。
だから其処にイブセンとショウとの間に、大なる差違があるように思う。
即ち同じく哲学を持ち乍ら、其哲学の為めに作り上げる作品が累いされて、直ちにそれが読者の目に見え透くか、或は自然に作り上げられた作品の中へ、其哲学が畳み込まれるかの別れる処は、ほんの僅かな一線で、其処が呼吸ものだと思う。
私の『虞美人草』などは問題にもなるまいが、兎に角、其極く幽かな一線の別れ方に依って、作品として失敗する人と、成功する人とに別れるのである。