即ち同じく哲学を持ち乍ら、其哲学の為めに作り上げる作品が累いされて、直ちにそれが読者の目に見え透くか、或は自然に作り上げられた作品の中へ、其哲学が畳み込まれるかの別れる処は、ほんの僅かな一線で、其処が呼吸ものだと思う。
私の『虞美人草』などは問題にもなるまいが、兎に角、其極く幽かな一線の別れ方に依って、作品として失敗する人と、成功する人とに別れるのである。
教訓的意味を芸術的作品に依って、得る必要はないと云うが、それは、教訓の為めに作品の価値を曲げては可けないので、自然な作品の中から、自ら教訓が浮いて来るなら一向差支えないと思われる。