主筆から彼の批評は既に前号に載せたという返書を得て調べて見ると、頁の最後の一行にただ「ポーリン是は譫言なり」とあった。
同雑誌の編輯者が一行余った処へ埋草に入れたものである。
ブラウニングは後年人に語って、あの批評のために自分が世間に知られる機会が二十年後れたと云った。
主筆から彼の批評は既に前号に載せたという返書を得て調べて見ると、頁の最後の一行にただ「ポーリン是は譫言なり」とあった。
同雑誌の編輯者が一行余った処へ埋草に入れたものである。
ブラウニングは後年人に語って、あの批評のために自分が世間に知られる機会が二十年後れたと云った。