今日では一番言文一致が行はれて居るけれども、句の終りに「である」「のだ」とかいふ言葉があるので言文一致で通つて居るけれども、「である」「のだ」を引き拔いたら立派な雅文になるのが澤山ある。
だから言文一致は便利ではあらうが、何も別にこれでなければ自然は寫せぬといふ文體はあるまい。
けれども漢文くづしの文體が可いか、言文一致の細かいところへ手の屆く文體が可いかといふ事は、韻致とか、精細とかいふ點に於て一寸考へものだらうとは思ふ。
今日では一番言文一致が行はれて居るけれども、句の終りに「である」「のだ」とかいふ言葉があるので言文一致で通つて居るけれども、「である」「のだ」を引き拔いたら立派な雅文になるのが澤山ある。
だから言文一致は便利ではあらうが、何も別にこれでなければ自然は寫せぬといふ文體はあるまい。
けれども漢文くづしの文體が可いか、言文一致の細かいところへ手の屆く文體が可いかといふ事は、韻致とか、精細とかいふ點に於て一寸考へものだらうとは思ふ。