五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。
だから長々しく敍景の筆を弄したものよりも、漢語や俳句などで、一寸一句にその中心點をつまんで書いたものに、多大の聯想をふくんだ、韻致の多いものがあるといふのは、畢竟こゝの消息だらうとおもふ。
要するに、一部一厘もちがはずに自然を寫すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した價値のある事でもあるまい。
五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。
だから長々しく敍景の筆を弄したものよりも、漢語や俳句などで、一寸一句にその中心點をつまんで書いたものに、多大の聯想をふくんだ、韻致の多いものがあるといふのは、畢竟こゝの消息だらうとおもふ。
要するに、一部一厘もちがはずに自然を寫すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した價値のある事でもあるまい。