要するに、一部一厘もちがはずに自然を寫すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した價値のある事でもあるまい。
その證據に、よく敍景などの文をよんで、精しく檢べて見ると、隨分名文の中に、前に西向きになつて居るものが後に東向きになつて居つたり、方角の矛盾などが隨分あるけれども、誰もそんな事を捉まへて議論するものも無ければ、その攻撃をしたものも聞かない。
で、要するに自然にしろ、事物にしろ、之を描寫するに、その聯想にまかせ得るだけの中心點を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。