艇長の遺書と前後して新聞紙上にあらはれた広瀬中佐の詩が、此遺書に比して甚だ月並なのは前者の記憶のまだ鮮かなる吾人の脳裏に一種痛ましい対照を印した。
露骨に云へば中佐の詩は拙悪と云はんより寧ろ陳套を極めたものである。
吾々が十六七のとき文天祥の正気の歌などにかぶれて、ひそかに慷慨家列伝に編入してもらひたい希望で作つたものと同程度の出来栄である。
艇長の遺書と前後して新聞紙上にあらはれた広瀬中佐の詩が、此遺書に比して甚だ月並なのは前者の記憶のまだ鮮かなる吾人の脳裏に一種痛ましい対照を印した。
露骨に云へば中佐の詩は拙悪と云はんより寧ろ陳套を極めたものである。
吾々が十六七のとき文天祥の正気の歌などにかぶれて、ひそかに慷慨家列伝に編入してもらひたい希望で作つたものと同程度の出来栄である。