彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。
ただ画がいかにも淋しい。
でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償としたかった。
彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。
ただ画がいかにも淋しい。
でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償としたかった。