そこで自分は『對話』といふことに就て考へ初めた、大袈裟に言へば『對話哲學』又たの名を『お喋舌哲學』に就て。
自分は先づ劈頭第一に『喋舌る事の出來ない者は大馬鹿である』
『喋舌ることの出來ないのを稱して大馬鹿だといふは餘り殘酷いかも知れないが、少くとも喋舌らないことを以て甚く自分で豪らがる者は馬鹿者の骨頂と言つて可ろしい而して此種の馬鹿者を今の世にチヨイ/\見受けるには情ない次第である。
そこで自分は『對話』といふことに就て考へ初めた、大袈裟に言へば『對話哲學』又たの名を『お喋舌哲學』に就て。
自分は先づ劈頭第一に『喋舌る事の出來ない者は大馬鹿である』
『喋舌ることの出來ないのを稱して大馬鹿だといふは餘り殘酷いかも知れないが、少くとも喋舌らないことを以て甚く自分で豪らがる者は馬鹿者の骨頂と言つて可ろしい而して此種の馬鹿者を今の世にチヨイ/\見受けるには情ない次第である。