此二人の少女は共に東京電話交換局の交換手であって、主人の少女は江藤お秀という、客の少女は田川お富といい、交換手としては両人とも老練の方であるがお秀は局を勤めるようになった以来、未だ二年許りであるから給料は漸と十五銭であった。
お秀の父は東京府に勤めて三十五円ばかり取って居て夫婦の間にお秀を長女としてお梅源三郎の三人の児を持て、左まで不自由なく暮らしていた。
夫れでお秀も高等小学校を卒えることが出来、其後は宅に居て針仕事の稽古のみに力を尽す傍、読書をも勉めていたが恰度三年前、母が病ついて三月目に亡くなって、夫れを嘆く間もなく又た父が病床に就くように成りこれも二月ばかりで母の後を逐い、三人の児は半歳のうちに両親を失って忽ち孤児となった。