僕は今此港の光景を詳細しく説くことは出來ないが、其夜僕の眼に映つて今日尚ほあり/\と思ひ浮べることの出來る丈を言ふと、夏の夜の月明らかな晩であるから船の者は甲板に出で家の者は戸外に出で、海にのぞむ窓は悉く開かれ、燈火は風にそよげども水面は油の如く、笛を吹く者あり、歌ふものあり、三絃の音につれて笑ひどよめく聲は水に臨める青樓より起るなど、如何にも樂しさうな花やかな有樣であつたことで、然し同時に此花やかな一幅の畫圖を包む處の、寂寥たる月色山影水光を忘るゝことが出來ないのである。
帆前船の暗い影の下を潜り、徳二郎は舟を薄暗い石段の下に着けた。
「お上りなさい」と徳は僕を促した。