十二歳の時分と覚えて居ます、頃は春の末ということは庭の桜が殆ど散り尽して、色褪せた花弁の未だ梢に残って居たのが、若葉の際からホロ/\と一片三片落つる様を今も判然と想いだすことが出来るので知れます。
僕は土蔵の石段に腰かけて例の如く茫然と庭の面を眺めて居ますと、夕日が斜に庭の木の間に射し込で、さなきだに静かな庭が、一増粛然して、凝然として、眺めて居ると少年心にも哀いような楽いような、所謂る春愁でしょう、そんな心持になりました。
人の心の不思議を知って居るものは、童児の胸にも春の静な夕を感ずることの、実際有り得ることを否まぬだろうと思います。