十八の年まで淋しい山里にいて学問という学問は何にもしないでただ城下の中学校に寄宿している従兄弟から送って寄こす少年雑誌見たようなものを読み、その他は叔母の家に昔から在った源平盛衰記、太平記、漢楚軍談、忠義水滸伝のようなものばかり読んだのでございます。
それですから小学校の教師さえも全くは覚束ないのですけれど、叔母の家が村の旧家で、その威光で無理に雇ってもらったという次第でございました、母の病気の時、母はくれぐれも女に気をつけろと、死ぬる間際まで女難を戒しめ、どうか早く立身してくれ、草葉の蔭から祈っているぞと言って死にました。
けれどもどうして立身するか、それはまるで母にも見当がつかなかったのでございます。