二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。
二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円貰っていましたが女には懲りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通っておったのでございます。
住居は愛宕下町の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。
二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。
二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円貰っていましたが女には懲りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通っておったのでございます。
住居は愛宕下町の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。