この一人の末子は梅子という未だ六七の頃から珍らしい容貌佳しで、年頃になれば非常の美人になるだろうと衆人から噂されていた娘であるが、果してその通りで、年の行く毎に益々美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎が帰省した。
富岡先生の何々塾から出て(無論小学校に通いながら漢学を学び)遂に大学まで卒業した者がその頃三名ある、この三人とも梅子嬢は乃公の者と自分で決定ていたらしいことは略世間でも嗅ぎつけていた事実で、これには誰も異議がなく、但し三人の中何人が遂に梅子嬢を連れて東京に帰り得るかと、他所ながら指を啣えて見物している青年も少くはなかった。
法学士大津定二郎が帰省した。