先日の御手紙には富岡先生と富岡氏との二個の人がこの老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は、所謂る富岡先生の暴力益々つのり、二六時中富岡氏の顔出する時は全く無かったと言って宜しい位、恐らく夢の中にも富岡先生は荒れ廻っていただろうと思われる。
これには理由があるので、この秋の初に富岡老人の突然上京せられたるのは全く梅子嬢を貴所に貰わす目算であったらしい、拙者はそう鑑定している、ところが富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他故郷の先輩の堂々たる有様を見聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取ってはこれ則ち不平、頑固、偏屈の源因であるから、忽ち青筋を立てて了って、的にしていた貴所の挙動すらも疳癪の種となり、遂に自分で立てた目的を自分で打壊して帰国って了われたものと拙者は信ずる、然るに帰国って考えてみると梅子嬢の為めに老人の描いていた希望は殆んど空になって了った。
先生何が何やら解らなくなって了った。