僕が此校長の下に大島小學校に居たのは二年半で、月日にすれば言ふに足らず、十二歳より十五歳まで、人の年齡にすれば腕白盛でありましたけれど、僕が眞の教育を受けたのは此時、僕の一生の羅針盤を置れたのは實に此時です。
僕が大島學校に上つてから四五日目で御座いました、四十を越えた位の一人の男が學校の運動場に來て、校長と頻りに何事か話して居ましたが、其周圍に七八名の生徒が立つて居て、顏を上て二人の物語を聞て居ました。
暫くして其男は丁寧にお辭儀を爲て、校長も至極丁寧に禮をして、そして二人は別れました。
僕が此校長の下に大島小學校に居たのは二年半で、月日にすれば言ふに足らず、十二歳より十五歳まで、人の年齡にすれば腕白盛でありましたけれど、僕が眞の教育を受けたのは此時、僕の一生の羅針盤を置れたのは實に此時です。
僕が大島學校に上つてから四五日目で御座いました、四十を越えた位の一人の男が學校の運動場に來て、校長と頻りに何事か話して居ましたが、其周圍に七八名の生徒が立つて居て、顏を上て二人の物語を聞て居ました。
暫くして其男は丁寧にお辭儀を爲て、校長も至極丁寧に禮をして、そして二人は別れました。