ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦るのは、多少他の疝気を頭痛に病むの傾きがあるように思います。
ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。
というものは現に研究している事が自分の歴史なら善かろうが人の歴史である。
ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦るのは、多少他の疝気を頭痛に病むの傾きがあるように思います。
ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。
というものは現に研究している事が自分の歴史なら善かろうが人の歴史である。