その時は正岡子規と一所であつた。
麩屋町の柊屋とか云ふ家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映つたのは、此の赤いぜんざいの大提燈である。
此の大提燈を見て、余は何故か是れが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至る迄決して動かない。
その時は正岡子規と一所であつた。
麩屋町の柊屋とか云ふ家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映つたのは、此の赤いぜんざいの大提燈である。
此の大提燈を見て、余は何故か是れが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至る迄決して動かない。