こうしてうたうことによって、いくらかでも子供の気持ちが休まるなら、自分は、生命のつづくかぎり、どんなにでもして、うたうであろうとうたったのでした。
考えると、こうしてうたったことは、今夜だけでなく、この子が生まれたときから、いくたびあったであろう。
たとえば、気むずかしく、どうしても眠らなかったときとか、病気で、夜じゅう泣き明かしたときとか、母として、べつに他につくす手もなければ、おばあさんに、自分がうたってもらった記憶をわずかに呼び起こして子守歌をうたい、やっとねかしつけ、すこしでも安らかなれと祈ったのでした。