しかもこの異分子もまたB主義の名に掩われてしだいしだいに流転して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。
芭蕉が死んでから弟子共が正風の本家はおれだ我だと争った話があります。
なるほど正風の旗を翻えすのは、天下を挟んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。
しかもこの異分子もまたB主義の名に掩われてしだいしだいに流転して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。
芭蕉が死んでから弟子共が正風の本家はおれだ我だと争った話があります。
なるほど正風の旗を翻えすのは、天下を挟んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。