たとえば旅行をして遠くへ行かなくとも永久の自然は其の町に、其の村に常に眼の前にあります。
もし其人が敏感であって、美に対して感激を有していたなら、たとえ其処に転がっている一個の林檎に対しても主観の輝きが見られる訳です。
区役所に行って役人に遇ったゞけでも、また巡査に道を聞いただけでも、荷車を引いている労働者を見たゞけでも、また乳呑児を抱いて露店に坐っている女を見たゞけでも、そして其他各階級の人々に出遇い、或は遊び、或は働いている有様を見たゞけでも、私達はこの人生を感ずることが出来るのであります。