そして終に、肉体と精神とを挙げて犠牲にするだけの偶像を何物にも見出し得ざる悲しみを感ぜずには居られないのである。
そして其処には只だ一つ宗教というものがあって、其所へ逃げて行く事は出来るけれども、又一面より見れば此の宗教という者も、一種の禁欲主義に外ならないではないか、人間的な生活――此の煩わしい現実の生活から離れて、特殊な欲望を禁じて強いて自らを其の上に置くという事は苦しい生活に外ならないではないか。
真の宗教家には或はそれが快よい事であり、幸福な事であるかも知れない。
そして終に、肉体と精神とを挙げて犠牲にするだけの偶像を何物にも見出し得ざる悲しみを感ぜずには居られないのである。
そして其処には只だ一つ宗教というものがあって、其所へ逃げて行く事は出来るけれども、又一面より見れば此の宗教という者も、一種の禁欲主義に外ならないではないか、人間的な生活――此の煩わしい現実の生活から離れて、特殊な欲望を禁じて強いて自らを其の上に置くという事は苦しい生活に外ならないではないか。
真の宗教家には或はそれが快よい事であり、幸福な事であるかも知れない。