古来日本の文章には、何々して何々侍るというような雅文体や、何々し何々すべけんやというような漢文体なぞが行われてはいるが、それはある時代のある人々の心から、必然に生れ出た文章であって、決してわれ/\新時代の人の新しい心の表現の範とすべきものでない、われ/\は鉋迄もわれ/\の新しい思想や感情に即することによって、新しい文章を作らねばならぬと。
これだけのことは、諸君はよく自覚して欲しい。
以上は、文章上の極めて初期に属する場合であるが、更に稍々進んで、ある程度まで自分の思想感情を文章となすことが出来る域に達した人は、往々一つの危険に出合うのである。