かつて、私は、僧侶が、しゃく杖を鳴らしながら、道を歩くのは、虫たちを逃がして、無益の殺生をしないがためだという話をきいて、ひどく感動したことがありました。
正しく生存する姿は、決して、自然との闘争でなくして、調和であると信ぜられるが故、たとえ虫にもせよ、意識的に殺したと考えると、いい知れぬ、さびしい気がしたのです。
学校へ行く男の子が、虫の標本をつくるといって、いろ/\のせみを苦心して、木から捕えて来ました。
かつて、私は、僧侶が、しゃく杖を鳴らしながら、道を歩くのは、虫たちを逃がして、無益の殺生をしないがためだという話をきいて、ひどく感動したことがありました。
正しく生存する姿は、決して、自然との闘争でなくして、調和であると信ぜられるが故、たとえ虫にもせよ、意識的に殺したと考えると、いい知れぬ、さびしい気がしたのです。
学校へ行く男の子が、虫の標本をつくるといって、いろ/\のせみを苦心して、木から捕えて来ました。