この点、私は、自分の記憶に徴しても、子供の眼と心が、最も正しいといえるのであります。
子供が彼等を見、彼等に対する考えこそ、人間として、一番高貴な、同情深い、且つ道義的のものではないでしょうか。
たとえば、屠殺場へ引かれて行く、歩みの遅々として進まない牛を見た時、或は多年酷使に堪え、もはや老齢役に立たなくなった、脾骨の見えるような馬を屠殺するために、連れて行くのを往来などで遊んでいて見た時、飼主の無情より捨てられて、宿無しとなった毛の汚れた犬が、犬殺しに捕えられた時、子供等が、これ等の冷血漢に注ぐ憎悪の瞳と、憤激の罵声こそ、人間の閃きでなくてなんであろう。