そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き案排もしくは向け具合がすなわち態度であると申しても差支なかろうと思います。
(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年倫敦におった時、この間亡くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。
その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。
そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き案排もしくは向け具合がすなわち態度であると申しても差支なかろうと思います。
(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年倫敦におった時、この間亡くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。
その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。