これを見た、せがれは、いくら達者のように見えても、年をとられて、もうろくなされたのかしらんと、老父の身の上を案じて、なんとなくそれから話もはずまず、物悲しくなったのです。
その後、おじいさんが、上野の公園で、迷子を見て、それが孫に似ていたということを物語ったとき、家内のものははじめて、銅像をよく見なかった理由がわかって、それほどまでに、孫を思っていてくださるかということと、おじいさんは、まだもうろくされたのでないということを知って、大いに喜んだのであります。
これを見た、せがれは、いくら達者のように見えても、年をとられて、もうろくなされたのかしらんと、老父の身の上を案じて、なんとなくそれから話もはずまず、物悲しくなったのです。
その後、おじいさんが、上野の公園で、迷子を見て、それが孫に似ていたということを物語ったとき、家内のものははじめて、銅像をよく見なかった理由がわかって、それほどまでに、孫を思っていてくださるかということと、おじいさんは、まだもうろくされたのでないということを知って、大いに喜んだのであります。