しかしひとたび立場を変えて、その堅さ冷たさを石から経験したとすれば、自分が石を認めたんでなくって、石が自分を冒したとすれば、冷たいのは自分の冷たさで、堅いのも自分の堅さであるから、ひとたび石の経験に触れるや否や、石を離れて冷たい、堅いと云う心持ちだけになるから、いやしくもこれと同じ心持を起すものならば、移して何へでも使う事ができます。
それで、あの人の心は石のようだと云う叙述が意味のあるものとなります。
これは全く性質の違った比較をする場合で、むしろ極端であります。
しかしひとたび立場を変えて、その堅さ冷たさを石から経験したとすれば、自分が石を認めたんでなくって、石が自分を冒したとすれば、冷たいのは自分の冷たさで、堅いのも自分の堅さであるから、ひとたび石の経験に触れるや否や、石を離れて冷たい、堅いと云う心持ちだけになるから、いやしくもこれと同じ心持を起すものならば、移して何へでも使う事ができます。
それで、あの人の心は石のようだと云う叙述が意味のあるものとなります。
これは全く性質の違った比較をする場合で、むしろ極端であります。