そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれ/\の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。
既に行燈式の電燈が流行り出して来たのは、われ/\が一時忘れていた「紙」と云うものの持つ柔かみと温かみに再び眼ざめた結果であり、それの方がガラスよりも日本家屋に適することを認めて来た証拠であるが、便器やストーヴは、今以てしっくり調和するような形式のものが売り出されていない。
煖房は私が試みたように炉の中へ電気炭を仕込むのが一番いゝように思うけれども、かゝる簡単な工夫をすら施そうとする者がなく、(貧弱な電気火鉢と云うものはあるが、あれは煖房の用をなさないこと、普通の火鉢と同じである)出来合いの品と云えば、皆あの不恰好な西洋風の煖炉である。