拡声器も困り物だが、そう云う風ではきっとあの山の方々に電燈やイルミネーションを飾り、賑々しく景気を附けてはいないかと思ったからである。
前にも私はそれで月見をフイにした覚えがあるのは、或る年の十五夜に須磨寺の池へ舟を浮かべてみようと思い、同勢を集め重詰めを持ち寄って繰り出してみると、あの池のぐるりを五色の電飾が花やかに取り巻いていて、月はあれどもなきが如くなのであった。
それやこれやを考えると、どうも近頃のわれ/\は電燈に麻痺して、照明の過剰から起る不便と云うことに対しては案外無感覚になっているらしい。