この現状維持の外観が、思慮の欠之から生ずるのでなくて、却って明白な判断に本いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。
三千代の場合は、即ちその適例であった。
彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしようとは想い到らなかった。
この現状維持の外観が、思慮の欠之から生ずるのでなくて、却って明白な判断に本いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。
三千代の場合は、即ちその適例であった。
彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしようとは想い到らなかった。