いったい妙子の仕事と云うものが、気分本位のものであり、そこへ持って来ていっぱし当人は芸術家気取でいるので、製作と云っても毎日詰めて規則的にするのではなく、幾日も続けて休むこともあり、気が向くと徹夜で仕事して翌朝脹れぼったい顔をして帰って来ることもあり、寝泊りはさせない筈だったのが、だんだんそうも行かなくなっていた。
それに、上本町の本家と、蘆屋の分家と、夙川のアパートとで、そう一々、妙子が何時に彼方を出たから何時には此方へ着く筈だと云う風に連絡を取っていなかったことなどを考えると、幸子は少し自分がぼんやり過ぎたか知らんと云う気がして、或る日妙子の留守を窺ってアパートへ行き、友達の女主人に会っていろいろそれとなく聞いてみたりしたが、女主人の云うのには、こいさんも近頃は偉くなって、製作法を習いに来る弟子が二三人も出来たけれども、それは奥様やお嬢様たちで、男の人と云っては、箱の職人が時々注文を取りに来たり品物を納めに来たりするくらいに過ぎない、仕事は、やり始めたら凝る方で、午前三時四時になることも珍しくないが、そんな時には、泊る設備もないことだから一服しながら夜の明けるのを待って、一番電車で蘆屋へ帰って行くと云う話で、時間の点なども辻褄が合っていた。
部屋はこの間まで六畳の日本間だったのが、最近広い方へ変ったと云うので、行ってみると、洋間に一段高くなった四畳半の日本間の附いた部屋で、参考書、雑誌、ミシン台、裂地その他の諸材料、末完成の作品等々で一杯になってい、壁に数々の写真がピンで留めてあるなど、芸術家の工房らしく雑然としてはいるけれども、さすがに若い女の仕事場らしい色彩の花やかさも感じられ、掃除もよく行き届いていて、きちんと整理してあり、灰皿の底にも吸殻一つ溜っていないと云う風で、その辺の抽出、状挿などを調べてみても、何等訝しく思われる節もなかった。