今夜は商売のことは忘れてゆっくりと御馳走になりたいもんですな」
幸子は娘の時分に、船場の蒔岡の店にもこう云う型に属する剽軽な禿頭の番頭がいたことを思い出した。
大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛の代りに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども、その肌合なり気持なりは、矢張会社の重役と云うよりお店の奉公人であって、昔はよくこう云う風な、腰の低い、口の軽い、主人の機嫌気褄を取ることや人を笑わせることの上手な番頭や手代が、何処の店にも一人や二人はいたものであるが、井谷が今夜この人物を加えたのも、座を白けさせないようにと云う心づかいでもあったことが察しられた。