蘆屋のこのあたりは、もとは大部分山林や畑地だったのが、大正の末頃からぽつぽつ開けて行った土地なので、この家の庭なども、そんなに広くはないのだけれども、昔の面影を伝えている大木の松などが二三本取り入れてあり、西北側は隣家の植え込みを隔てて六甲一帯の山や丘陵が望まれるところから、雪子はたまに上本町の本家へ帰って四五日もいてから戻って来ると、生れ変ったように気分がせいせいするのであった。
彼女が今立って見おろしている南側の方には、芝生と花壇があり、その向うにささやかな築山があって、白い細かい花をつけた小手毬が、岩組の間から懸崖になって水のない池に垂れかかり、右の方の汀には桜とライラックが咲いていた。
但し、桜は幸子が好きなので、たとい一本でも庭に植えて自分の家で花見をしたいからと、二三年前に入れさせたもので、それが咲く時はその木の下に床几を出したり毛氈を敷いたりするのだけれども、どう云う訳か育ちが悪くて、毎年頗る貧弱な花をしか着けないのであるが、ライラックは今雪のように咲き満ちて、芳香を放っていた。