その夕、貞之助と幸子とは、二人だけ残ってもう一晩京都に泊った。
夫婦は明くる日、幸子の父が全盛時代に高尾の寺の境内に建立した不動院という尼寺があるのを訪ね、院主の老尼と父の思い出話などをして閑静な半日を暮したが、ここは紅葉の名所なので、今は新緑にも早く、わずかに庭前の筧の傍にある花梨の莟が一つ綻びかけているのを、いかにも尼寺のものらしく眺めなどしながら、山の清水の美味なのに舌鼓を打ちつつコップに何杯もお代りを所望したりして、二十丁の坂路を明るいうちに下った。
帰りに御室の仁和寺の前を通ったので、まだ厚咲きの桜には間があることが分っていたけれども、せめて枝の下にでも休息して木の芽田楽をたべるだけでもと、幸子は貞之助を促して境内に這入ったが、ぐずぐずしていて日が暮れると、又もう一晩泊りたくなることが、毎度の経験で知れているので、嵯峨にも、八瀬大原にも、清水にも、方々に心を残しながら、七条駅に駈け付けたのはその日の五時少し過ぎであった。