いつも電話で長話をする癖のある姉は、切りかけては又しゃべり出し、しゃべり出しして、生れてからまだ一遍も離れたことのない大阪の土地を、三十七と云う年になって離れなければならない辛さを、それから三十分にも亘って綿々と訴えるのであった。
姉に云わせると、親戚や夫の同僚の誰彼など皆御栄転でおめでたいと云って祝ってくれる人達ばかりで、自分の心持を分ってくれる者が一人もない、たまに一端を洩らしてみても、今時そんな旧弊なことをと、誰も一笑に附して真面目に取り合ってくれない。
ほんとうに、その人達の云う通り、これが遠い外国とか、交通不便な片田舎へ遣られでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、勿体なくも天子様のお膝元へ移住すると云うのに、何が悲しいことがあろうと、自分でもそう思い、われとわが胸に云い含めているのだけれども、住み馴れた大阪の土地に別れを告げると云うことが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出て来る始末なので、子供達にまで可笑しがられているのだと云う。