で、家族は八月の地蔵盆を済ましてから、廿九日の日曜の夜行で上京する、辰雄もその時は前日の土曜日からかけて大阪へ帰って来、出発の当夜駅頭に於いて改めて親戚知友の見送りを受ける、と云うことに極まった。
姉の鶴子は八月に這入ると、親戚や夫の銀行関係の方面などへ、毎日一二軒ずつ挨拶廻りをしていたが、廻るべき所へ一と通り廻ってしまったあとで、最後に蘆屋の分家、―――幸子の所へ、二三日泊りがけでやって来た。
これは形式張った暇乞いとは違って、この程じゅう引き揚げの準備万端のために眼の廻るような思いをし、所謂「神憑り」で働いた骨休めをかねて、久し振に姉妹四人が水入らずでくつろぎ、ゆっくりと関西に於ける名残の時を惜しもうと云うのであった。