姉の鶴子は八月に這入ると、親戚や夫の銀行関係の方面などへ、毎日一二軒ずつ挨拶廻りをしていたが、廻るべき所へ一と通り廻ってしまったあとで、最後に蘆屋の分家、―――幸子の所へ、二三日泊りがけでやって来た。
これは形式張った暇乞いとは違って、この程じゅう引き揚げの準備万端のために眼の廻るような思いをし、所謂「神憑り」で働いた骨休めをかねて、久し振に姉妹四人が水入らずでくつろぎ、ゆっくりと関西に於ける名残の時を惜しもうと云うのであった。
それで、その間は何も彼も忘れていたいからと、音やんの女房に留守を頼み、身軽になって、末の三つになる女の児だけを子守に背負わせて連れて来たが、ほんとうに、四人がそう云う風に一つ屋根の下に集って、時間の制限もなく、呑気に語り暮すと云うことは、何年ぶりになるであろう。