それから五六日過ぎて、おくれ馳せながら先日の見送りの礼と、転任の挨拶とを兼ねた活版刷りの住所変更通知が届いたが、雪子からはそれきり何の便りもなかった。
ただ、移転の手伝いや見舞い旁〻土曜日の晩から上京した音やんの忰の庄吉が、月曜の朝帰って来、蘆屋へも東京の様子を話すように云い付けられたからと、その日のうちに訪ねて来た。
そして、昨日の日曜に無事引っ越しを済ませたこと、東京の借家普請と云うものは大阪のよりは遥かに粗末で、殊に建具が悪く、襖などがとても安手でひどいこと、畳敷は階下が二畳、四畳半、四畳半、六畳、二階が八畳、四畳半、三畳だけれども、江戸間であるから八畳が京間の六畳、六畳が京間の四畳半にしか使えないこと、そう云う訳で甚だみすぼらしい住居だけれども、取柄を云えば、新建ちであるから感じが明るく、南向きで日あたりがよく、上本町の薄暗い家から見れば衛生的であること、自分の家に庭はなくても隣近所に立派な邸宅や庭園が多く、閑静で上品な土地柄であること、それでいて道玄坂まで出れば繁華な商店街があり、映画館なども幾軒かあるので、子供達は何事も物珍しいと見え、却って東京へ来たことを喜んでいるらしいこと、秀雄も全快して今週から附近の小学校へ通う筈であること、等々を語った。