そして、先ず脚気を完全に治療する必要があること、投薬に依ってでも食慾を促進させ、偏食を直すようにすること、学校は、気分次第にして遅刻や早退をさせるのはよいが、全然学業を廃して転地療養等をするのは不可であること、なぜなら、精神が或る一つの事に向けられていると、却っていろいろな妄想を描く余裕がなくなるからであること、興奮させてはならないこと、分らないことを云っても頭から叱り付けず、諄々と説いて聴かせるようにすること、等々を注意して帰った。
雪子のいなくなった結果が、こう云う形を取って悦子の上に現れて来たものであるとは、必ずしも断定し難いし、幸子としてはそんな風には考えたくなかったが、扱い方にほとほと手を焼いて、どうしたらよいのか分らず、泣きたくなるような折に出遭うと、雪子であったら、こんな場合に辛抱強く云い聴かせて納得させてしまうのに、と思うことは再三であった。
外のことと違い、事情が事情であるから、そう云ってやれば本家の方でも一時雪子を貸してくれることに異存はなかろうし、又貸してくれと云わないでも、雪子に宛てて悦子の状態を知らしてさえやれば、義兄の許可を待つ迄もなく飛んで帰って来ることは明かであったが、二た月立つか立たないのにもう降参して助け船を呼ぶと云われるのは、意地とか張りとか云うものを余り持ち合せない幸子でも、気がさすかして、まあもう少し様子を見て、………まあ、自分で何とかやって行けるうちは、………と、思い思い日を送っていた。