本来貞之助は、孰方かと云えば放任主義で、殊に女の児の躾は母親の方針に一任して置けばよいと云う建前であったが、近頃は、目下の支那事変の発展次第では婦人が銃後の任務に服するような時期も有り得べく、そんな場合を考えると、これからの女子は剛健に育てて置かなければ物の役に立たないと云うことを、憂慮するようになっていた。
と、或る時貞之助は、悦子がお花と飯事遊びをするのに、注射の針の使いふるしたのを持って来て、芯が藁で出来ている西洋人形の腕に注射しているのを、ふっと見かけたことがあった。
そして、何と云う不健康な厭な遊戯をしていることかと思い、これなども例の衛生教育の余毒であると感じて、それからは一層、何とかして是正しなければいけないと云うことを始終考えていたのであった。