鶴子の云うのには、此方に移って来た当座は雪子ちゃんも気持よく家事の手伝いをしてくれ、子供達の面倒を見てくれたのであるが、―――今でも決して態度が変ったと云う訳ではないが、ただ時々、二階の四畳半に引き籠ったきり降りて来ないことがある、あまり姿を見せないので、上って行ってみると、輝雄の机の前にすわり、頬杖をついてじっと考え込んでいることもあり、しくしく泣いていることもある、それが、初めのうちは十日に一遍ぐらいであったが、近頃だんだん頻繁になりつつあって、そんな日には階下へ降りて来ても半日ぐらい物も云わない、どうかすると、人前でも涙を隠し切れないで、ぽたりと落すことがある、辰雄も私も、雪子ちゃんの取扱いには随分気を付けているつもりなので、別に何も機嫌を損ずる原因があるとは思われないから、結局これは、関西の生活が恋しい、まあ云ってみれば、郷愁病のようなものであろうと断ずるより外はない、それで、少しは気が紛れるようにと思って、お茶やお習字のお稽古を、又続けてみたらと云うのだけれども、そんなことも一向取り合ってくれない、―――鶴子はそう云って、富永の叔母ちゃんの口利きもあって雪子ちゃんが素直に帰って来てくれたのを、私達はほんとうに喜んでいたのだけれども、それが雪子ちゃんに取って、まさかこんなにも辛い、厭なことであるとは思っていなかった、此処にいることが泣くほど辛いのであるなら、又私達の仕様もあるが、いったい私達は何でそれほど雪子ちゃんから嫌われなければならないのであろうか、―――と、それを云う時、鶴子は自分も泣きながら、―――しかし恨めしくもあるけれども、雪子ちゃんの思い詰めている様子があまり一途なので、可哀そうにもいじらしくもなって来て、それほど関西がよいのなら、いっそ好きなようにさしてやろうかと、考えることもある、蘆屋へ預けきりにしてしまうことは辰雄が許すまいけれども、今のところ手狭なのだから、広い家へ移るまででも行っているとか、でなければ、せめて十日か一週間行かしてやったら、それだけでも慰められ、元気づけられはしないであろうか、ま、そう云っても、何か適当な口実がなくては工合が悪いが、兎に角雪子ちゃんが今のような有様では、私は気の毒で見ていられない、あれでは当人より端の者が遣り切れない、と云うのであった。
これは一場の座談として語られたので、貞之助は、そんな風では兄さんも姉さんもお困りであろう、それには幸子あたりにも責任があることで、申訳がない、と云ったような挨拶をしただけで、悦子の病気のことなどは勿論云いはしなかった。
が、帰って来てから、幸子との間に東京の話が出、雪子の近状を尋ねられてみると、事実を知らせるより仕方がなかったので、鶴子が云ったことを何一つ隠さずに告げた。