で、助け船を呼ぶ必要はなくなってしまった訳であったが、幸子は東京の話を聞いてからと云うもの、どうしても一度雪子の顔を見ないことには気持が治まらなくなっていた。
今になって考えると、あの、富永の叔母が掛合いに来た日、自分はあまりにも雪子に冷酷な仕打をし過ぎた、自分はああ云う風に命令的に、追い立てるようにすべきではなかった、妙子には二三箇月の猶予が与えられたのだから、雪子にも多少の時日を与えるように斡旋するくらいの情味があってもよかったのに、ゆっくり名残を惜しむだけの余裕も作ってやらなかった、それと云うのも、雪子がいないでもやって行けると云う意地っ張りが、あの日に限って妙に強く萌して来て、ついあんな態度に出たのであったが、それでも雪子が一言半句の不平も云わずに大人しく納得したのが、思い出すとしおらしくて、不憫でならない。
………そして幸子は、雪子がわりに機嫌よく、ほんの当座の旅行のような身支度で気軽に出て行ったのは、直きに口実を拵えて呼んで上げるからと、あの時気休めに云ってやった言葉を、案外あてにしていたのであることが、今になると分って来たのであった。