陣場からはその後の節季にこの間の北京楼の勘定書を封入して来て、勝手ながらこの半額を受け持って戴きたいと云って来たので、折り返して為替を送ってやり、それでこの縁談は打切りになった。
それらの報告を書いてやったのに対しても、本家からは何とも云って来ないのであったが、幸子は、雪子ちゃんももう一と月になることだし、余り長く留めて置いて後が利かなくなっても困るから、又来るにしても一遍帰ったら、と、ぽつぽつすすめていた。
で、四月三日のお節句の日には、悦子が学校の友達を招いてお茶の会を催すのが毎年の例になっており、その時はいつも、雪子が手ずからパイやサンドイッチを作る習わしになっていたので、そのお節句を済ましたら帰る、と、当人も云っていたのであるが、さてお節句が済んでしまうと、もう三四日で祇園の夜桜が見頃だそうだから、―――と云うことになった。