後に記すような事情で、正確な時間は分らないのであるが、死んだのは五月二日の午前三時前後―――ではなかったかと思う。
当時看護婦の小池さんは二階で寝ており、敏子は関田町に去っており、病室には私だけが附き添っていた。
しかし私も、午前二時頃病人がいつものように安らかに鼾を掻いているのを見て、密かに病室を抜け出して茶の間に行き、四月三十日の夕刻以後五月一日にかけての出来事を書き留めつつあった。
後に記すような事情で、正確な時間は分らないのであるが、死んだのは五月二日の午前三時前後―――ではなかったかと思う。
当時看護婦の小池さんは二階で寝ており、敏子は関田町に去っており、病室には私だけが附き添っていた。
しかし私も、午前二時頃病人がいつものように安らかに鼾を掻いているのを見て、密かに病室を抜け出して茶の間に行き、四月三十日の夕刻以後五月一日にかけての出来事を書き留めつつあった。