当時看護婦の小池さんは二階で寝ており、敏子は関田町に去っており、病室には私だけが附き添っていた。
しかし私も、午前二時頃病人がいつものように安らかに鼾を掻いているのを見て、密かに病室を抜け出して茶の間に行き、四月三十日の夕刻以後五月一日にかけての出来事を書き留めつつあった。
というのは、私はその前々日、つまり夫の発病以後四月三十日までは、毎日午後の午睡の時間を利用して、二階でそっと、その前日の午後からその日の午後に至る出来事を記すことにしていたのであるが、五月一日の日曜に、はからずも秘密にしていた第二冊目の日記帳が病人や敏子に盗み読まれている事実を知り、当日はいつもの時間に二階で記すことを止め、以後は深夜の時刻を選んで筆を執り、日記帳の隠匿場所を変更することにきめたのであった。